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牧師の説教ノート(7月3日分)

1.時代背景、舞台、文脈背景

〇概要
 神殿の幕が裂けたという象徴的な描写が行われ、それに対して百人隊長が信仰を告白する特徴的な箇所である。
 神殿の幕が一体どのように裂け、またそこにどのような意味があったのかについては敢えて書かれていないようである。何れにせよ、神学的にも物理的にも、神殿の幕は裂けたのであり、その中にある至聖所が全世界に対して開かれたのである。
 それまで、至聖所は闇に満たされており、かつそこに入る事の出来る人間は限定的であった。しかし、今や世界中の全ての人が、至聖所の中に秘められていた神の栄光を目撃することが出来るのである。

〇神殿の幕、覆い
 神殿の幕は、至聖所を隠す為の物である。主は雲と暗闇を纏われる方であり(詩編97編2節)、それらは主の姿を隠す為にある。何故ならば罪のある者が主を見れば、そのものは決して生きている事は出来ないからである(イザヤ6章5節)。その幕が裂けたという事は、最早誰もが憚ることなく、主の栄光を目に出来る時代が来たと言う事を意味する。それは、イエスの十字架の贖いによって、全ての人の罪が赦される為であり、それ故に、人は神を見てもその罪が赦されているが故に死ななくても良くなったのである。
 また。広義には、この幕が取り去られたことによって、恵みをイスラエルの中に取り囲んでいた敷居が消失したと見る事もできる。
 今や、イスラエルのだけにとどまっていた神様の栄光と恵みは、幕によってさえぎられる事無く、全世界に伝播していく。その先駆けとして、正に十字架を見上げていた百人隊長が、イエスに対して目を開かれ、イエスを神の子として信仰告白をしたことは、象徴的であった。

〇神の子であった
 ローマ兵であり、またユダヤ教に詳しくもなかった百人隊長が告白したこの言葉が、正しくメシアを表すものであったかどうかは怪しいところがある。
 しかし、どのような意味合いにせよ、百人隊長はイエスの十字架の上の姿に対して神を見たのであり、その信仰を告白したのである。
 十字架を取り巻いていた暗闇は、本来この言葉を告白すべきであったユダヤ人達の目を閉ざした。
 ユダヤ人達は光の傍に居ながら光を水に背を向けていたのであり、興味本位で光の方を見ていた百人隊長は真実を見るのである。
 最早、ユダヤ人を特別に保護する幕は取り去られた。光に背を向けていても、辛うじて反射した光を見る事の出来ていた時代は終わりを告げたのである。
 これからは光を見るか、背を向けるかの二択のみが迫られる時代が訪れる。
 その代わりに、イエスを見上げる者は、そこがどんなに遠くであろうとも、確かに福音はその人の所まで伝播するのである。

〇遠くから見ていた女達
 興味本位であれ、確かにそちらを居ていたのであれ、光に対して目を向ける人々の所に福音は伝わっていく。
 遠くから見ていた女達は、本来シナゴーグに入る事は出来ず、神について学ぶ機会を与えられない人々であった。
 しかし、光に背を向けたが故に、暗闇に目が塞がれて何も見えなくなっている男達に対し、十字架を見ていた女性達は確かにその福音の完成の目撃者となった。
 十字架の場に於いて、神の勝利の宣言を聞いたのは、選ばれしユダヤ人でも、選ばれた男たちでも、祭司でも律法学者でも長老でもなく、無関係の外国人と、退けられていた弱い女性達であった

2.詳細なアウトライン着情報

〇神殿の幕が裂ける
38  すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

〇百卒長、信仰告白を行う
39a イエスの正面に百人隊長が立っていた。
39b (彼は)イエスがこのように息を引き取られたのをみた。
39c そして言った。
39d 内容:この方は本当に神の子であった。

〇女達もイエスを遠くから見ていた。
40a 女達も遠くから見ていた。
40b その中には、マグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。
41a (この女たちは)イエスがガリラヤにおられた時に、イエスに従って仕えていた人達であった。
41b このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上ってきた女たちがたくさんいた。

着情報3.メッセージ

 『臨在の伝播』

聖書箇所:マルコによる福音書153841
中心聖句:『イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」』(マルコによる福音書1533)  202273日(日) 主日礼拝説教

 イエス様が、十字架上で贖いの御業を完成して下さった時、神殿の幕は真っ二つに裂けて、取り去られました。この時から、全ての人に対する神様の臨在の伝播が始まります。神の御子イエス様の十字架を見上げる人にのみ、神様の臨在が現わされる時代が訪れたのです。

 神様の御言葉とその救いは、十字架の贖いが完成するその時までは、アブラハムの子孫であるユダヤ人ものの物でした。彼らは、神の民という幕の内側に居るが故に、どれだけ神様に背いても、その憐みによって特別な地位を与えられ続けていました。しかし、神殿の幕が裂けたその時から、彼らの特別扱いは完全に撤廃され、世界中全ての人が同じ条件で神様に取り扱われるという、新しい約束が与えられたのです。この約束は、自身が罪びとである事を認め、回心して御子を信じ、その十字架を見上げる人だけが与えられるものです。このような人は、証し主である聖霊を受け、イエス様を神の御子であると信じて、永遠の命を受ける事が出来る事ができます。幕の内側で、光の傍にさえ居れば良かっただけの古い時代から、光の方、即ち神様の方を正しく向いて直視しなければならない新しい時代へと変化したのです。イエス様の十字架を取り巻いていたユダヤ人達は、祭司長や律法学者、長老など、多くの宗教指導者達が居ました。しかし、皆が神様に対して背を向けていたので、誰もイエス様の身分や、十字架の意味について悟れませんでした。その一方で、興味本位で十字架を見上げていただけの外国人の百人隊長は、イエス様を神の子だと告白したのです。

  新しい時代になると同時に、私達は神様との距離ではなく、向きによって判断されるようになりました。どれだけ遠くでも十字架を見上げる人には、その臨在が伝播するのです。十字架を遠くから見上げていた女性達はその良い例でした。彼女たちは、ユダヤ人男性とは違って、学び舎(シナゴーグ)に入る事は出来ず、神学を学ぶ機会も与えられず、退けられていた人々です。彼女達は、ユダヤ人の男達からは神様から遠い取るに足らない存在とされてしましたが、イエス様の十字架を忠実に見上げていたので、その恵みが注がれて、贖いの完成の証人として、尊く立てられる事になったのです。どれだけ遠くからでも、どれだけ相応しくないと判断されても、イエス様の十字架を確かに見上げる人には、神様の臨在がしっかりと行き届きます。そこには、外国人も、罪びとも、貧しい人も、身分の低いことも関係ないのです。逆に、どれだけ選ばれた存在でも、神様を見上げないなら、その人は滅んでしまいます。

  私達は、自分の姿を直視する時、自身の心の中のあまりの罪深さに、救われる事を諦めようとしてしまうかもしれません。しかし、神様は私達を、相応しいかどうかではなく、求めて、御自身の方を向いているかを見られます。だから悔い改めを、私達は回心と呼ぶのです。だから恐れず回心して、イエス様の十字架を見上げ、永遠の命と神様の臨在を受けましょう。

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